私小説
第85回生 田中和哉
日常的学校生活 全てが普通に見える。 そんな変な夢で目覚めた今日の朝。 ・・まず・・崩れる 僕は気付く、それは一番前に乗ったが幸い、いや不幸であろうか。 その中を・・・通る! それは物理法則をも凌駕しているようだ。全く抵抗無く、しかし車内にも一瞬であったが通った。 人は脆い。こうも同調が無ければ前提条件さえ危なくなる。 そこから地上の電車に乗り換える。だが全くもって状況は変わらない。 今・・・・ さっきの異形に似たモノが電車を通り抜けた! 今回は一番前ではないので気付かなかった、そう、そして2回も見るとは思っていなかった。 ・・また・・誰も普段と変わらない。 変わってるのは自分である。そう思うのは世界から自分を否定し、存在意義を無くすこと。 だがコレは序章に過ぎない。真の崩壊はもうじき訪れる。 だが今日は違った。本線を降り、甲陽線に乗った僕は知人どころか見かけたことのあるものもいない。 甲陽園と夙川には間に駅がある、苦楽園と言う名の駅。 知人も居る・・見たことのある人も居る。みんな乗り込んでくる・・・。 学校へと着く。僕はみんなと反対側の靴箱である。 だが、振り向いてしまった。 あとがき 今回視覚的小説と言うことで書きました。
そんな当たり前である前提条件が崩れる。
普通の感覚、普通の考え方、そんな脆い観念で見るところの異変が現れる。狂うと言われるものである。
それに気付いたら、自分はどうするであろうか?
自分だけが変えていけるストーリー。まるでヒーローのようで神のようで。
痛みを伴いながら全てを変えられる、そんな代償と力を手に入れたらどうするのであろう。
家を出て人工的な洞窟へと滑り込む。
そこには一人一人の個人的空間の集合体、電車に乗り込む。
最低限の常識という名の枷に縛られたその全体意識煮の無い集合体が
前方にある全く想像すら出来ないであろう物体。
暗い地下鉄の線路の中でもはっきりと見える異形。
それは前方にいかにも障害物と自己主張している。
しかし僕は変だと感じる。ここで異形も変だが、周りが全く気付いていないことだ。
自分はまだ夢を見ているのだろうか、そんな漫画や何かみたいにつねった所で分かる訳はないが
一応やっても変なところは無い。なら・・・今のは何だ?全く分からないまま、大阪の中心、梅田に着く。
不可思議な事をひとりで見たとき、それは一体、どうしろというのであろうか?
そして、事態はまだ落ちる。連帯感の無い個人空間の場合・・まだ、それはましなのである。
それに気付く時、如何なるものも簡単に崩れ去っていく。
ずっとさっきのことを考えていた。気にしないにもインパクトが強すぎた。
問題点は二つ。アレは何か、そして何故自分だけ気付いたのか?
そこでふと気付く。
今回も前回より多少軽めの衝撃であったが・・・。そして気付く。
それは今の僕にとってあまりに酷なこと。まだ信じられなかった。
夙川に着く。甲陽への最寄駅、甲陽園のある甲陽線に乗るために甲陽の学生のかなりの人数が利用する駅。
もちろん、普段、通学時間帯であるから、いっぱい甲陽の学生はいる。そして知人も居る。
そこで願う、今日は休みなんだ・・さっきまでのは何かがおかしいんだ。
そう思うことで精神のバランスを保とうとする。まだ整理がつかぬ間につぎの異変が起こるなんて知らないで・・。
そこで見たものは神の悪戯かと思った。夙川で乗るであろう、大人数の甲陽生。
知人との挨拶、会話、何も普段と変わらない。
そんな友人に相談するには勇気が足りなかった。
それ以前にこの今話してるのは友人なのだろうか
明らかに僕だけを騙すためならおかしい、・・そうか夢か。
久しく見るリアルな夢。そうにちがいない。そうしておかないと僕は壊れそうで・・。
防衛本能が働いた・・。ただそれだけ。
歩く。日常の風景。何も変わらない。
それは今までをあざけ笑い、まるで挑発しているようで。
だが過去を忘れれば全てが戻る。
そんな気がした。だが、たとえ今日起きて今までのほとんど意味をもたない時間でろうと
それは自分であり、存在である。それを否定するのはこれからの逃亡宣告であり
自分自身の冒涜である。といってもこんな高尚なことを思いついたわけでも無く、
忘れてはならない気がした。
何も変わらない通学路。日常を嬉しく思うのは日本に住むものが忘れやすいこと。

・・・ひとつ、だけ・・。
もう言葉も無い。意味するのは。
又”孤独”と言う名の悪戯らしい。ここで振り向いちゃ駄目だ。
答えはわかっている。それは”日常”であり、否定できないもの。
夢の日常か、記憶にある普通の日常か。それはわからない。
それは全く不合理な行動である。明らかに自分が精神的ダメージが大きい画像が
目に届くのが自分でもわかっているのに、人間とは実に不合理である。
そして結果は、全てが分かった気がする。だが・・・その代償は大きかった。

鏡のように左右反対で、だが一人の後姿。
待って、一人にしないで
赤ちゃんの時より散々思ったセリフ。
それを声にならない声で叫ぶ。
左右反対なんて関係ない。今孤独の中から見えた希望の光。
人間は脆く、こんな状況に置かれれば理性なんてあったもんじゃない。
群れたい。それは精神的世界では、動物と同じ。
現実世界では、それより崩れやすいといったところ。
神様はこの孤独ゲームをどんな目的で作ったんだろう。
何で自分が主人公なのだろう。
・・結果は見えているのに。

もう音は鳴り止んだ。
おなかの空いた非日常は終わったのだろうか?
写真はもうとり終えたのです。
学校という小さい中ではありますが独自の社会体系を持ち、
現在の日本世界の縮図にそうかわらないものがあります。
その孤独とは相反し、強制的に集団とされるこの空間に放り出される時人間はどういった行動をとるのでしょうか。
私は、こうです。いわゆる逃避。立ち向かう人もいるでしょう。勇気が必要です。
何か、解決策はあるのでしょうか。
群をなす動物が一匹はぐれた時、それは死を意味します。ですがその動物は逃げます。必死に。
自分で死を分かっているのかもしれません。でも逃げます。
そして最後は無謀でも立ち向かうかもしれません。
そう・・全く人間と同じ行動なのです。これは進歩していないと言うことではないでしょうか。
理性の効かなくなった人間は動物と何ら変わらない本能と身体的弱さを見せます。
変わったのは、自分を纏う衣だけ。
ですが鎧に身を包んだ弱者は決してほとんど丸腰の強者に勝てません。
人間は何も進んでないのです、進んだと自己暗示をかけているに過ぎないのです。
こんなことが起こるはずが無い。それは人間の自己暗示なのです。
ですが恥じるべきではありません、弱気が日常なのですから
作者