山崎唯生(第81回生)のネパールでのボランティア活動について


公民の杉山先生の勧めでハンセン病専門の病院、アナンダバン・レプロシー・ホスピタルに1998年3月22日から4月2日まで第3回JOCS(日本キリスト教海外医療協力会)の主催する中高生ネパールワークキャンプに参加しました。たくさんの写真を撮った中から、その一部をここに掲載し報告します。


子供たちは日本から持って行ったリコーダーに興味津々

子供たちとは実によく遊びました。病院の中にあるバスケットのゴール(これは第2回ワークキャンプに参加した人たちの作った物)で試合をしたり、クリケットや卓球の道具もありました。とにかく元気で我々の方がかなり圧倒されていました。持っていた使い捨てカメラを彼らに渡すと最後まで撮り切ってしまい泣きそうになっている仲間もいました。


レレ村の小学校にて

右側の白い壁が学校の校舎です。我々が「ふるさと」や「春の小川」などいくつかの日本の歌を披露すると、生徒達も太鼓にあわせた歌と踊りを披露してくれました。教室の中には、小さな黒板が前方にあって数十組の長椅子と長机が置かれています。あまり大きな学校ではないのですが、生徒の数が増加しているので、全員を収容しきれないという現状だそうです。制服はとてもかわいくて男女でデザインが異なっています。当日は学校の休日だったにも関わらず、生徒達が制服を着て集まってくれました。


病院ではハンセン病患者の治療がすべて無料

病床数は120、約100名のスタッフが働いており、様々な国や団体から派遣された医師達が働いています。ライ菌の感染によって起こるハンセン病は初期症状が明白に現れない為に感染者も自身の感染に気付かないという事態が多々あり、末梢神経を冒し始めると多種にわたる神経の障害を起こします。


編み物でリハビリする女性患者

リハビリによって筋肉の拘縮を予防して機能の低下を防ぐことができます。編み物はリハビリの一環として日本人の看護婦さんが病院の中で教え広めました。感染によって失われた身体部分はその多くが切除されてしまうことになります。機能再建手術も施されますが、何よりも大事なのはやはり感染の早期発見と、そのための知識の教育です。


散策中に出会った子供達の表情豊かな様子が印象的

高度が1700メートルと高いため少し歩くと遠くにヒマラヤ山脈を望むことができ、丘へ上れば首都カトマンズが一望できます。何よりも夜空の星は我々の見慣れている街の空の星の数とは比べものにならず、眩しいほどの輝きをもって空にありました。


サッティヤさんの家でピリリと辛いネパールの家庭の味を堪能

サッティヤさんは病院の運転手さんで、お家は病院からぶらぶら歩いて2時間ほどの所にあります。道中ではカメレオンや毛虫の大群、また我々には少し珍しい牛による耕作を見ることができました。ネパールでは男性よりも女性の方がよく働くという話を聞いていたのですが、田んぼや畑、石の選別作業から家の洗濯まで働いているのはすべて女性だったことには大変驚きました。


シャボン玉はネパールの子供達に大変好評

昼食後はサッティヤさんの家族や子供たちと遊びました。日本で飲む物とは比べ物にならないほどにおいしいチャイを頂いた後、長い道程に疲れて、満開の菜の花の中、暖かな陽の下で眠ってしまう人もいました。


あとがきにかえて

ネパールから帰ってきて一番困ったことがある。それは友達や親戚の人に、ネパールはどうでしたか、と聞かれて一言で答えられないことだ。楽しかった、という表現もいまいちしっくりこないし、だからといって思い当たる言葉もなかった。でも、ある程度きりつめた言葉で言うと、学ぶ旅だった。たくさんのことを、経験して、学んで、吸収して、それについて考えて、人に聞いて、それを実行に移して、その繰り返し、そんな旅だった。

何が印象に残っていると聞かれたならば、何と言ってもネパールの患者さん達の笑顔、笑っている(笑ってくれている)顔だ、と答える。あの笑顔は忘れられるわけがなく、本当に僕の胸に焼き付いている。日本人が今はもうなくしてしまった本当の笑顔というやつの奥の方の真意を、彼らに教わった気がする。

日本人は豊かだ。これは財物が十分にあって恵まれているという意味で。でもこの豊かさは人間にとって本当に必要な物なのか。日本人はこの豊かさを戦後急速に手に入れてしまったので、もう一つの豊かさ、つまり精神的にもゆとりがありおおらかな様という意味の豊かさをなくしてしまったんじゃないか。そして、ネパールの人はその豊かさを持っている。これこそが、ネパールの患者さん達の本当の笑顔の奥の真意なんじゃないかと、僕はそう思ったんです。

最近の出来事としてもこういう事がありました。僕はネパールでかなりの分厚さになるたくさんの写真を撮りました。それを僕は人に見せるときに、そのままで渡していました。受け取った人はそれらを見るときに、量が多いからというのもあるでしょうが、一枚の写真を見るのにかける時間は5秒を切ります。僕が、この写真は・・・なんて説明をしようとすると、もう次の写真に行ってしまっていて、結構それの繰り返しにもどかしさを感じたりしていました。そんな時に、ネパールでホームステイに行った時のことを思い出しました。ホームステイ先のお家で色々な写真を見せてもらっていた時のことです。彼らは僕達に写真を見せる時に、一枚一枚手渡してくれます。つまり次の写真を彼らが渡してくれるまで、僕らはその写真に目を向けていなくてはならないのです。僕はこの「間」が最初はとても嫌でした。早く次の写真を見せてほしかったのです。しかし、慣れてくるとその「間」が実に心地よく、今見ている写真についてたくさんの疑問が浮かんでくるのです。例えば、ここは何処なのかとか、あっここ病院の前やん、これは誰なのかとか、えっこの人お兄ちゃんなん、みたいに単純なんだけれども、 その写真についてより深く知ることができる、新しい発見がたくさん出てきます。そこでやっとこの「間」の大切さに気付いたのです。つまり、これがネパールの人の写真の見せ方、そしてこれこそがネパールの人の持つ豊かさ、日本人がなくしてしまった、ネパールの人が教えてくれた豊かさだったのです。日本に帰ってきてから、この事に限らず他にもたくさんの彼らの豊かさを実感しています。

豊かさをここで定義付けしてしまうようなことはできないし、するべきでもないと思うのですが、今回わかったことは、どちらの意味の豊かさが大事であるのかです。もちろん、どちらかが不必要であるとも言いません。ただ、幸運にも我々は今回の旅でもう一つの豊かさにネパールで出会うことができたのだから、この出会いをどうこれからの生き方に役立てることができるかだと思うのです。そして、それが豊かさの新しい意味の誕生だと思うのです。日本人の豊かさとネパールの人の豊かさとを兼ね備えた、本当の意味で豊かな人間、僕はそんな人間になりたいのです。


レレ村のホーム・ステイ先の家族といっしょに記念写真

1泊2日のステイ中様々なことを学びました。最後にとお母さんが大事なサリーを我々男性にも着せてくれました。言葉を使ってのコミュニケーションは困難を極めましたが、もっと奥の方で彼らとつながれたような気がします。


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